ある大学生の自己満足。

※自己満足です。

お久しぶりです。

割と昔から日記とかブログとか書くの大好き派(ツイッターもツイートするの大好き派、後から見るとしょうもないツイートばかりしてて恥ずかしくなる派)なのですが、最近一つ気付いたことがあります。それは、タイトルを最初に書くより、最後に書いた方が良いということ。何を書くかを決めず、思いついたことをそのままアウトプットしてる自分にとって、タイトルを最初に決めることは内容との乖離が起きる可能性が凄まじくあります。だから、今タイトルを空白にしておいて、久しぶりのブログを高揚しながら書こうと思っています。しかし、冒頭からこのようなだらだらした文章を書いてしまい、とても焦ると同時に消そうか迷っています。けど、アクセス数が思いの外良い感じだということを知ったので、続けたいと思いつつ、今日は良い天気だなぁとぼのぼのしているのが現状です。








疲れた・・・

なんか肩痛いんですよ。
おとといの夢でゴキブリが家に大量発生する夢を見て、起きた瞬間、肩が激痛でした。
新しいベット、合わないのかもしれん・・・




前回の記事で、やりたいことがあるなら、まずそれは後回しにして、武器を使えみたいなエラそうな記事書きましたが、最近それが自分に身に染っています。
正直、やりたい仕事は自分の中であるのだけれど、適職かと言われれば、そうではない。
だから、違う形でアプローチをしようと必死に考えながら就職活動をしています。
実際、社会人の方々はよく「自分の武器を使え!」と言っている時点で、的を得ているかと。



大学2年の初めから3年の半ばまで、自分は大学院で教育学の修士課程に進もうと真剣に考えていました。
東京学芸大学の院の説明会、早稲田教育学研究科の説明会にも行ったし、玉大の修士も気になっていた。
しかし、今は就職しようと考えているのが現状。
修士に行くって中々勇気いるし、何より就職出来る気がしない。

進路アドバイザー検定試験を受験して、キャリア教育等の知識も深めたし、教職課程の授業は学部の授業と違って割と真剣に聞いていた。
正直、教育系の勉強をしている時が一番楽しいです。

ただ、よく聞かれるのですが、何故教師を目指さない?と。
確かに教育=教師であり、教師こそが教育に一番携わる存在である。
なのに、なんで教師という選択肢を考えないのか。


ということで、今日は自分が教育革命だか何だかほざいてる癖に教師を目指さない理由を綴ろうと思います。


①教師はタフで無いと無理だと考えているから。
他の仕事もこれは共通をしていると思われがちですが、教師ほどタフさが求められる仕事は無い、というのが自分の主観です。労働時間とかそういう次元じゃない。昔の教師と違って、今の教師は精神的にしんどいのはよく言われてる。まず、モンスターペアレントの存在。自分の嫌いなワードBEST10に入るモンスターペアレント。このゴミクズみたいなのが存在するただそれだけで、教師の負担は大きい。教師になる人の多くは「子供が好き」、「教えるのが好き」、「自分が仕切って役に立ちたい」等と考えて、なるでしょう。しかし、今の時代は体罰少しで色々言われる時代。ましてや理不尽なモンスターペアレントの存在。当初の想いを実現出来る人は、上手くかわせる能力や、ハイパーポジティブ、心の広さ等、様々な能力が求められます(モンスターペアレントについての考えは、また後日書きます)。
また、子供は先生の悪口をとにかく言いますね。「先生の教え方が悪い」だの「先生つまらない」だの。自分も散々言ってきたけど、指導計画書書いたり、教育委員会からあれこれ言われたり・・・しまいには教室全生徒の気配り・・・、そんな苦労も知られずに言われるのは相当辛いですよね。なのに教える専門だけをやってりゃいい塾講師の方が教え方が上手い、学校教育はダメだと言う、当たり前の事実なのになんで批判するのか(塾講師を批判しているわけではありません、実際自分ももしかしたら塾講師の職に就くかもしれませんし・・・)。これも上手くかわせりゃ良いけど、教え方が悪いとか言われたら傷つかないわけないと思います。

他にもいっぱいあるけど、とにかく自分はこのタフさは無いし、性格上無理だと判断しています。相当な負けず嫌いなので教え方を批判されたら改善しようと努力するし、モンスターペアレントがいたら言い返しちゃうと思うし、とにかくパンクすると思います。キャパオーバーが見え見えです。

②「教える」という行為だけなら塾講師を目指した方が良い。
これは①と若干内容被るけど、先生が教えるという行為だけをしてればいいわけではなく、遠足だとか部活動、修学旅行や体育祭や文化祭・・・etc、とにかくあります。一見楽しそうだと思うけど、実際は相当なものだというのが主観的な考えです。
そうです、楽しそうだけで務まる仕事ではない。自分のプライベートなんか重視してたら、中途半端な教師になり、そもそも教師を目指す人、なる人は意識が高いはず(主観というか、願いですが笑)なのに、そんなんじゃ満足できないでしょう。
自分は教える以上にそのような行事までも全力でできる自信が無いです。ていうか、どれも全力でやってたら誰でもキャパ超えるでしょう。
「教えることで生徒を変えたい」だけでは、教師ではなく塾講師の方が割に合ってるのは、間違えないはず。
ただ、塾に通えるのは家庭環境に少なからず依存しなければならないため、教育の機会均等を考えるなら、教師の方が良い。
また、塾は利益を少なからず求めなければならないことも忘れてはいけない。そこは教師と違って大変なことだろう。

③教師は視野が狭くなる
これはあくまで主観であるので、そこを了承してほしい。僕の教師のイメージは自分こそが正しい、という価値観になりやすいと感じる。なぜかというと、社会人と比べて、大人と触れ合う機会は少ないと感じる。なので、どうしても価値観は多様になりづらく、視野は狭くなりがちだと感じる。これは一概には言えないけどなぁ。ただ、実際教師は頑固な人が多い気がするのは否めない。

④無茶振りな仕事内容
これも割と被るかもしれないけど、教師の仕事は正直無茶振りなものが多いと感じる。最近教育のICT化が進んでいます。世間的に見れば、便利な世の中になったなぁとか、効率良く授業やられているんだなぁ、とか思うでしょう。しかし、どうでしょうか。教師はタブレットやICT機器を上手く利用できるのでしょうか?そして、その使い方等は正しく理解出来るような研修等は全員受けられているのでしょうか?実際、タブレットが生徒一人ひとりに与えられていても、授業には使われず、中にはゲームするだけのものになっている学校もあるそうです。
この問題は、教師の問題ではなく、国のあまちゃんな考えのせいですな。金の無駄遣いじゃないですか。ちゃんと授業で使えるよう教師に教育しなきゃいけないと思います。いきなり使え言われても、無茶振りじゃないですか。

⑤生徒の体調の気遣い
ただ授業をしているだけではなく、一人ひとりの生徒の体調も見抜かなければいけないと考えています。正直、親がちゃんと把握しろよというのが自分の意見ですが、無理して学校に来る生徒もいるし、自己管理出来ない生徒が大半です。要するに、生徒何十人の顔色を常に見なきゃいけないのです。すごく難しいと思います。

⑥失敗は許されない
これは結構重要。先生は生徒の模範になる存在であるので、日々失敗というものを許されない存在であるのは否めない。自分はたくさんして失敗して生きているので、失敗がしずらい環境にいるのは多大な労力が必要であると考える。


以上6点あげましたが、他にも色々教師になりたくない、というか向かない理由が沢山挙げられます。
ただ、ここで自分が言いたいのは「俺は教師になりたくねぇんだよ!」って言うわけではないです。むしろなりたい気持ちは未だにあるのは否めないです。

ただ、今の学校教育の制度はあまり好きではないとうか、日本人の教育の考え方がおかしいと考えています。
よく生徒の親は何か生徒にあったら「教師のせいだ」と言いますよね。
こういう親は自分の子供が可愛いのかなんだか知らないけど、教師を神みたいな存在だと考えているのでしょうか。
教師は誰一人として完璧な人は存在せず、一人の人間であることを忘れてはいけない。
そんな完璧に生徒一人ひとりを指導でいるスーパーマン的存在がいれば、こんなヘンテコな世の中になっていないのである。
教師の問題っていう人は自分が親としてダメな人間ということをしっかり認識していただきたい。仕事で忙しいとかよく言うけど、だったら仕事転職するべき。親となった以上、子供をしっかり見れないなら仕事を変えるべき。別にそんな他人事にするような人間が社会の前線に立っても意味ないし。



てなわけで、自分は教師ではなく、外から教育や教師を支える立場となりたいと大学2年ころから思っています。
抽象的じゃん、って思われるけど抽象的でいいと思ってる。
そんな働いてもないのに明確に何もかも言えたら、誰も苦労しない。笑




以上、このブログは2日前に書きました。