ある大学生の自己満足。

※自己満足です。

武器→理想

最近、色々考えてます。
そのうちの一つをアウトプットしようかと。



「〇〇という社会課題を解決したい」

自分がよく面接とか社会人とかと就活で話すとき、言います。
これは嘘偽りも無い、自分の将来の夢でもあり、やりたいことです。
素直に言っています。
でも、

「将来の夢」

「やりたいこと」


うん、最近これに何故か違和感を感じるようになってきた。
面接が上手くいかないとか、そういうわけではなくて(順調ではあります)、
本当に社会とか未来を考えるなら、この

「~したい」とか
「~を解決したい」とか

それってNGなんじゃないかと感じるようになってきた。

なぜか。
まず、人間には他と比較して優ってるもの、比較して劣っているものは、必ずどちらもあると思います。
例えば自分で言うと、国語力や読解力が無いので他と比べて資料を読んでの考察とか、なんならこういう文を書くのは劣っていると思います。
逆に閃きに関しては自分の武器だと思っています。

そこから何を言いたいかと言うと、例えば自分が「どうしても小説家になりたい!」と夢を掲げたとしましょう。
前述の通り、文章力は劣っているため、正直小説家の道はかなりキツイです。
つまり、夢や理想を掲げていても、たとえその願望が強くても、他と比べて人一倍努力が必要となるということである。

よく自分は
「この世に0%も存在しなければ、100%も存在しない」
という言葉を正論として掲げているので、
小説家になることに対し、「無理」という言葉は、言い方を悪く言えば「暴言」となると感じます。
夢や理想に対し、現実を悟らせる教育、自分としては一番最悪なものだと思います。
もし、教師に現実を悟らせるような発言をするような人がいるなら、主観として教師はやめていただきたいとまで思うぐらいである。


しかし、自分は就活を受けていく中で、とあることを思いつく。


本当に「~したい」と言う想いがあるなら、自分が他と比較して優位ならことを、何かしらの形で使って実現する方が、断然想いを実現出来るということ。
さっきの事例で言うなら、「小説家になりたい」という夢は非常に漠然としている。その中にある想いを探るとして、小説家になりたい→小説を通して自分の世界感を多くの人々に与えたい、などが考えられる。

「自分の世界感を多くの方々に与えたい」

・・・

そう、小説家でなくてもそんなこと可能なんですよね。
つまり、アイディアが武器なんだから、そのアイディアを文章力が上手い人に共有して、書かせればいいでないか。


「~したい」


そんな想いは誰しもあるが、「現実を見ろ」とは言わないけれど、もっと自分の武器を使うべきなのではないのか。自分も含め、他の若い世代を含め。
自分の武器を使ったほうが、もっと世の中は発達するでしょ。

確かに理想を追うのってすごい楽しい。自分も正直その過程が好きで理想主義になりがちである。

でもさ、やっぱみんながみんな好きな仕事とか自分がやりたい!って仕事ばっかりやってちゃ、社会って成り立たないというのは否めない。


「~したい!」って想いは大事、しかしもう就職するのであればそれだけでなく、まず自分の武器をしっかり見定めて、そのうえで自分がやるべきこと、自分ならこれをやれる→社会貢献、という形が一番理想的なのかな、と思い始めている。
必ずしも、やりたいことがそこの会社、職種じゃないと出来ないとは言えない、ということかな。



なので、自分の武器をまずしっかり見定めようと思っています。笑

「~したい!」って想いは、その後だな・・・



追記

バイトが楽過ぎてヤバい